今までの人生の中で、二度ほど「てっぺん」というのを味わったことがある。
二十代の当時を振り返ると汗顔の至りだけれど、若さゆえにそのときの自分が見えないから錯覚してしまう。
周りから持ち上げられ、自分の言うことにだれもが盲目的に従う。
そして、ぼくの次の言葉や指示をただただ待っている。
恐ろしいことです。
ここ数年、若い人と言葉を交わしたり、ライブで一緒になったりする機会がある。
そんなとき、ふと、このようなことを脈絡もなく思うことがある。
「危険だな」と。
しかし、それも長い人生の中での肥やしになるから、静観したほうがいいかと思うようにしている。
何カ月か前に「下山の思想(五木寛之)」という本を読んだ。
一部抜粋させていただく・・・
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戦後復興から所得倍増計画に始まり、列島改造論、オイルショック、バブル経済、そして崩壊・・・。すでに、日本は下山の渦中にあるはず。下山という「下」は、マイナスイメージが付きまとうからあまり歓迎されないというか、意識下からはずそう、あるいは知らないふりをしようという傾向にある。しかし、どう考えても上りっぱなしはない。投げた石は頂点を境に下降する。飛び立った飛行機は、必ずどこかに着陸する。
大切なことは、そこのところをきちんと見極めたソフトランディングだろう。
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朝日新聞の「声欄」に赤川次郎という作家が投稿していた。あわせて一部抜粋させていただく。
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それにしても生徒のためのものである卒業式で、管理職が教師の口元を監視する。なんと醜悪な光景だろう!橋下氏は独裁も必要と言っているそうだが、なるほど「密告の奨励」は独裁政治につきものである。
府知事時代、橋下氏は初めて文楽を見て、こんなもの二度と見ないと言い放ち、補助金を削減した。(中略)客の数だけを比べるのはベートーヴェンとAKBを同列にするのと同じだ。理解力不足を棚に上げて、自分の価値観を押し付けるのは、「力強い指導力」などとは全く別物である。
過去に学ぶ謙虚さを持ち合わせない人間に未来を託するのは、地図もガイドもなく初めて山に登るのと同じ。一つ違うのは、遭難するとき、他のすべての人々を道連れにするということである。
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赤川次郎の作品は一つも読んだことがないけれど、ちょっと見直した。
若い人のパワーや物怖じしない行動力にある種の羨ましさを覚えるときがあるけれど、ぼくが若い人たちと同じような言動をとっていたら、それは滑稽でしかないし、逆に若い人が年寄りじみたことをしていては不細工のそしりを受けるだけだろう。
それぞれの時代の中での出番と役柄を見極めることなのだろうな。
タイトルとずいぶんかけ離れてしまった。
ま、いいか。
と、開き直って・・・
お知らせです。 
覚えたら、来てネ。